紛争・平和構築

2007年10月 6日 (土)

自爆テロ犯の特徴

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

最近、治安の悪化を示す事件が本当に増えてきました。

例えば誘拐。
先週のANSO(Afghanistan NGO Security Office)のセキュリティ会議で聞いた話によると、その前の週にアフガニスタン全体で誘拐された人の数は、たったの1週間でなんと40人に登るそうです(アフガニスタン人を含む)。

また、自爆テロも、今年に入ってカブールだけで既に16件発生しているとのこと(会議後にさらに2件発生)。

そんな中、上記ANSO会議で、とても興味深い話を聞きました。それは、自爆テロ犯人の見分け方。

大抵、
・こぎれいな格好をしている。
・ゆったりした服を着ている(爆発物を隠すため)
・香水の香りがする(!!)
・挙動不審
というような特徴があるそうです。

JENでは、現在月に一回スタッフにセキュリティトレーニングを行っていますが、その席で上記情報をシェアしました。
すると、スタッフからさらに興味深いことを教えてもらいました。

それは、自爆テロ犯はアイラインを引いていることが多い、ということです。
そのスタッフによると、イード祭などで羊を屠るとき、羊の目にアイラインをひくのだそうです。
それにより、神に捧げる生贄であるということを示すそうです。

すなわち、自爆テロ犯は、己を羊と同じく神に捧げる生贄と考えているとのこと。
だから、こぎれいな格好をしたり、香水の香りを漂わせたりしているのですね。

ちなみに、当地では赤ちゃんや子どもにアイラインを引いているのをよく見かけます。
タダでさえ大きなお目目が益々パッチリ!
あれにも何か意味があるのでしょうか。今度確認してみたいと思います。

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2007年9月24日 (月)

抜糸、そして紛争地での備え

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

本日、在カブール日本大使館の医務官に抜糸をして頂き、無事盲腸の件も終了しました。
「糸が癒着しているかな?」と言われたときはヒヤリとしましたが、無事キレイに全部取って頂きました♪

今日は、盲腸になってみて感じたことを、紛争地での備えという視点で振り返ってみたいと思います。

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アフガニスタンには、外国人が安心して手術を受けられるような施設はありません。
運が良ければ、ISAF(International Security Assistance Force)の野戦病院で手術を受けることが出来るようですが、あくまで軍事operationに携わっている多国籍軍の関係者を治療することを目的とした医療機関のため、常に受け入れてもらえるという訳ではありません。

一方、手術を伴わない一般的な治療であれば対応してもらえる外国籍の病院はあります。
しかしながら、それらの病院に抜糸をしてもらえるかについて問い合わせたところ、対応出来ないと言われてしまいました。

つまり、アフガニスタンで手術の必要な病気や怪我をした場合、基本的に国外に出るしか選択肢はないのです。

===

一方、今回の私の急性盲腸炎の発症は、まるで胃炎のようでした。
胃がじわじわーっと痛くなってきて、耐えられないくらいの胃の痛みが連続的に襲ってくるようになったと思ったら、同時に断続的な吐き気も現れたのです。

そのため、最初ホテル付きのドクターに見てもらいましたが、原因がわからず、痛み止めを打ってもらったものの効かず、病院に行ったのでした。
しかしながら、病院に入ってからも、七転八倒しながら、問診→エコー→血液検査→CTスキャンと受けて、「急性盲腸炎」と診断されたのは病院に入ってから12時間くらい経過した後でした。

急性盲腸炎の場合、胃が最初に痛くなり、徐々に腹部右下に傷みが移動するケースが多いようですが、私の場合時間が経過してもずっと胃の周辺が痛かったため、診断に時間がかかったようです。

振り返ってみると、このような状況がカブールで発生していたら間に合わなかったかもしれないと思うとヒヤリとします。

===

JENでは、日常的なセキュリティ対応や「もしも」の時の対応を定めたSecurity Planを作っています。その中で、Medical Evacuation(アフガニスタン国内で手術の必要な病気・怪我をした場合どのように対応するか)についても定めており、そこに緊急医療機関としてドバイの病院のリストを掲載していました。

R&Rの時もSecurity Planを携帯することにしていたため、真夜中に発病した急性の盲腸炎でしたが、リストから24時間対応且つ緊急医療に長けている病院を選んで行くことが出来たため、手遅れになることなく対応できたのでした。

将来起こり得る全ての可能性に備えることは不可能ですが、当たり前のものが備わっていないことが常態である紛争地で働くためには、やはり命に関わる最低限のことに対する備えは必要である、と今回の盲腸炎@ドバイでは身をもって実感した次第です。

ちなみにドバイの病院情報は、今回抜糸をして頂いた大使館の医務官に事前に頂いた情報を下に、Security Planにアップデートしておりました。
二重にお世話になり、本当に感謝です♪

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2007年8月15日 (水)

終戦記念日に想うこと

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

8月15日は終戦記念日ですね。

早いもので、紛争地で働き始めて9ヶ月と半月が経ちました。

その間、この国で25年の紛争により失われたものの大きさを実感する日々でした。
本来あるべきものがない、あったけれども失われて久しい・・・etc。
そしてそれは、物的なインフラストラクチャーのみならず、人びとの本来身に付けているべき能力・スキルや、国家としての機能であったりもします。

どのような状況においても、武力による解決が正当化されるべきではありません。
それにより失われるものの大きさ、それにより生まれる新たな憎しみ、そして新たな破壊。

何事においてもそうですが、例えば人間関係でも、壊すのは一瞬ですが、築き上げるには長い時間がかかります。

経験から学ぶのが人間の人間たる所以だと思います。
無益な歴史を繰り返さないようにしたいものです。

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2007年8月14日 (火)

初心

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

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無駄なものなど きっと何一つとしてないさ
突然 訪れる鈍い悲しみであっても

忘れないで君のことをぼくは必要としていて
同じようにそれ以上に想ってる人もいる
あなどらないで僕らにはまだやれることがある
手遅れじゃない まだ間に合うさ
この世界は今日も美しい そうだ美しい

Mr. Children『It's a wonderful world』

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2007年8月11日 (土)

戦争と平和

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

ニコライ・ロストフは顔をそむけて、まるで何かをさがしもとめるように、遠くを、ドナウ河の流れを、空を、太陽をながめはじめた。空のなんと美しく見えたことか、なんと淡青く澄んで、しずかで、そして深い空だろう!沈みゆく太陽のなんと赤く、そして荘厳なことだろう!遠いドナウの流れのなんとやさしくつややかに輝いていることだろう!そしてもっともっと美しかったのは、ドナウの遠いかなたに青ずみゆく山並、修道院、神秘的な谷間、梢まで薄靄におおわれた松の林・・・・・あちらには静寂と、幸福があった・・・・・『何も、何もぼくは望まないだろう、何も、ただあそこへ行かれさえしたら』とロストフは思った。『ぼく一人と、それからあの太陽に、こんなにたくさんの幸福があるのに、ここには・・・・・呻きと、苦痛と、恐怖と、そしてこの不明、このあわただしさ・・・・・そらまた何か叫んでいる、そしてまたみんな後方へ掛けだした、ぼくもいっしょに走ろう、そうだ、これがあれなのだ、死なのだ、ぼくの頭上に、ぼくのまわりに・・・・・一瞬したら---ぼくはもはやあの太陽も、あの流れも、あの谷間も、二度と見ることがなくなってしまうのだ・・・・』
--「戦争と平和」トルストイ 工藤精一郎訳(新潮文庫)

突然ですが、私はロシア文学が好きです。
その中でも、実はドストエフスキーが一番好きです。
何故好きか、という理由はたっぷりあるので、それはまたドストエフスキーの本を紹介する時に書きたいと思います(笑)。

トルストイは、これまで小編しか読んだことがなかったのですが、読む時間はかなりあるだろうと思ってこちらに持ってきた名作、「戦争と平和」。
面白いです。

冗長だけれど、そこがまたロシア文学の良さ。
途中で、「あれ、これ誰だっけ?」と思って読み返さなければならないくらい(笑)沢山の登場人物が呼び名を変えて次々出てくる冗長なストーリーの中に、はっとさせるような、鋭く輝く人生の真実がちりばめられています。

この世の中に数多ある真実を、いかに明確且つ鮮やかな切り口で、心に残るような筆致で描けるか、それが優れた作家の条件なのかもしれません。

これだけ長い時間の洗礼を受けながらも、しかも国籍の異なる世界で親しまれてきたということは、それだけ普遍的な真実の描写に長けていたのだろうと思わされます。

トルストイの作品の中で、戦争を描いたものとしては、この「戦争と平和」の他に、名前を忘れましたが、2006年10月に何者かの手で殺されたアンナ・ポリトコフスカヤさんが書いた「チェチェンやめられない戦争」という本の扉に引用されていた作品がとても心に残る内容でした。
数十行というわずかな文章の中に、戦わざるを得なくなった人間の、悲壮感・絶望感が込められていました。
是非、読んでみたい作品です(どなたか、どこで通して読めるかご存知の方、教えてください!)。

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2007年7月25日 (水)

元気です。

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

残念なことに、7月19日に韓国人23人がカブール南部のガズニ州で誘拐され、うち1人が本日(7月25日)殺害される事件が発生しました。

亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
同時に、人質となっている方々の一日も早い解放を願っています。

本件に関連して、多くの方々から安否確認のご連絡を頂きました。
いつも気に掛けて頂き、また、ご心配頂き、本当にありがとうございます。

タイミング悪く、事務所のネットの調子が悪かったこともあり、定期的にブログの更新が出来なかったため、さらにご心配をおかけしてしまいました・・・。
おかげさまで、JEN国際スタッフ・ナショナルスタッフ共に、無事生活・仕事をしております。

同時に、今まで以上にセキュリティには留意して活動しています。

例えば、先日NGO間のセキュリティミーティングのお話をしましたが、JENでは、定期的に主催団体から情報収集をしている他、他のNGOやUN等の機関からも追加的に情報収集を行っています。

また、不要不急の移動は控える等、今まで以上に活動には留意して過ごしています。

以前、テロで思うことでは別の側面から記載しましたが、周知のとおり、仕事・人間関係等々、何事においても、何かを作り上げる時には、とても多くの人びとが、気の遠くなるような時間と手間を費やしてコツコツと積み上げていくものです。一方、壊す時は一瞬。

四半世紀以上もの間紛争が続いていた国で、国造りに着手し、それを継続してきたこの数年の努力は、アフガニスタンの人びと、そして、それを支援する人々ともに、膨大なものであったことは容易に推察されます。そのような努力の積み重ねが、一瞬にして消え去るようなことがないよう、希望しています。

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2007年7月16日 (月)

英語レッスンスタート!

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

この度、JENのオフィスでは、スタッフ向けの英語の授業を始めました。

マネジャーやフィールドオフィサー等のオフィススタッフ以外、すなわち、ドライバー、セキュリティガード、クック、クリーナー等のスタッフは、殆ど英語が使えません(英語が話せても片言で、読み書きは困難)。
場合によっては、当地の言葉であるダリ語でさえ、読み書きできないスタッフもいます。

それらのスタッフとコミュニケーションするには、英語の出来るオフィススタッフに通訳をお願いすることになります。
しかしながら、オフィスマネジメントの観点からは二重のコストとなることに加え、様々な理由から彼らの意図が完全に伝わりきらない場合もあり、国際NGOの中で自らを守るためには、英語がある程度できることは不可欠、と日々考えていました。

そんな時、いくつかのきっかけが重なりました。

一人のセキュリティガードが、「柴田さん、もし僕が英語とコンピューターが出来るようになったら、オフィススタッフとして雇ってもらえますか?」とカタコトの英語で聞いてきたのです。

彼は、最近二人目の子どもが生まれたばかり。
27歳と若いけれど、奥さんと2児を抱える一家の主です。

英語とコンピューターが出来るだけでオフィススタッフに即採用とはなりませんが、やはりオフィス内で働くにはそれらの技能は必要最低条件です。

そう答えたところ、彼は、「3ヶ月間、毎日英語の教室に通って勉強します」と答えました。

セキュリティガードの仕事は不定期且つ夜勤があることに加え、彼の家からオフィスまでは自転車で片道1時間くらいかかります。
そのような環境においても、彼は今も英語の授業に通い続けています。

もう一つのきっかけは、一人のドライバーでした。

彼が毎朝英語の勉強をしているということを耳にしたので、本人に聞いてみると、英単語とそのダリ語訳でびっしりと埋め尽くされたノートを何冊も見せてくれました。

これらのノートは、高校卒業後すぐに働き始めた彼が、夜間の英語学校に通っていた時に作成したものとのこと。
これらを、毎朝20ページ、復習しているというのです。

28歳の彼も、小さい子ども2人の父親です。

もし、英語の授業をオフィスで行なったら受けたいかと聞いてみたところ、彼らの答えはもちろんイエスでした。

そこで、人のつてを頼ったり、求人サイトに求人情報を出したりして、面接すること十数人。
漸く条件に合う先生を見つけました。

その後教科書を入手し配布したところ、スタッフ一同が皆、嬉しそうに自分の名前を書き込んでいました。
名前が書けないスタッフには、書けるスタッフが手伝ったりして。
そうやってちょっとしたことを教えることもまた、モチベーションアップに繋がっているようです。

日中、スタッフを待つ車内等で、ドライバーが一生懸命教科書を読んでいる姿を見かけることが増えてきました。

また、これまではダリ語一辺倒だったクックが、「お茶をどうぞ」等、ちょっとした片言英語を話そうとするようになりました。
それを横で聞いていたセキュリティガードが、「お前、何て言ったんだよー」って感じで尋ね、それに対し「いやー・・・」なんて感じで、照れながらも答えたりしている微笑ましい場面を目にすることも(笑)。

長引く紛争によりあらゆるものが破壊され尽くし、理不尽なことばかりがまかり通ってきた、全てが不安定なこの国で、それでも、若しくは、だからこそ、子供のために、家族のために、自分のために、より良い暮らしを求め、誠実な努力をする人たち。

このような誠実な努力が報われるような国となることを、多くの人が望んでいるはず。

一方、我々国際NGOの使命が、あらゆるものが破壊され尽くした国における、国造りの側面支援だとすれば、また、ある意味「触媒」である我々の役割は最終的にはアフガニスタンの人たちに引き継がれていくべきものであるとすれば、一人でも多くのアフガニスタンの人たちのキャパシティが向上することは、間接的な国造りの側面支援であると言い得ると思うのです。

授業が行われるのは、就業後。
ガードルームからは、アルファベットを読む声が聞こえてきます。

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2007年6月20日 (水)

テロで思うこと

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

セキュリティマネジメント研修を受け、アフガニスタンに戻ってきたその日に、カブールで大規模な自爆テロが起きました。
2001年のタリバン政権崩壊以降、カブールで起きた自爆テロとしては最大規模の被害者数だったとのことです。
被害に遭われた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

そしてとても多くの方々から、安否確認や行動アドバイスのご連絡を頂きました。
ご心配頂いた皆様、気にかけてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。
おかげさまで、ジェンのスタッフはみな無事でした。

このような事件が起きた時に懸念されること。
それは、人びとの平和に対する確信が揺らいでしまうのではないか、という懸念です。

25年以上も紛争を続けてきた国、そして今も一部の地域で戦闘状態が続いている国に暮らす人びとが、平和の訪れを確信できるようになるには、危険を感じずに過ごすことのできる安定した状態が一日でも長く継続することが最も重要です。
しかしながら、このように民間人を巻き込むようなテロが頻発するようになると、平和の訪れを感じることは益々難しくなることは明らかです。

加えて、2001年のタリバン政権崩壊以降、国の安定を信じ、大量の難民や国内避難民が大挙して故郷に戻ってきました。
しかしながら、戻ってきた故郷の状態は決してバラ色ではなく、家は壊れ、基礎的なインフラストラクチャーも大幅に欠如し、仕事も無く・・・、というような状況。そのような中、ようやく国の再建が始まりました。

2002年以降は、国際社会から大量の支援が入ってきましたが、25年の紛争により形作られた様々な空白は、5年程度の支援では到底埋められるものではなく、今後も、息の長い支援が必要です。

しかしながら、少しでも治安上の懸念が生じると、国際社会からの支援の継続にも大きなマイナス要因になります。それが新たな社会の不安定要因になっていくという悪循環は、容易に想像ができます。

アフガニスタンは、度重なる紛争に苦しんでいる時も、大干ばつで多くの人が故郷を追われた時も、国際社会からは長らく見捨てられた国でした。そのような国にようやく国際社会の目が向けられたのは、2001年の9.11同時多発テロがきっかけでした。

アフガニスタンがまた再び忘れ去られた国に舞い戻るようなことがないよう、国際社会による支援の一部を担っている私たちは、安全を十分に確保しつつ、活動を続けていくことが最も重要だと思っています。
もちろん、テロの発生を正確に予測することは不可能ですが、情報ソースを確立し、取りうる限りの対策を取って行動していきたいと思います。

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本文とは関係ありませんが、カブール市内を通る羊飼いと羊の群れ。

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2007年5月26日 (土)

カラシニコフ

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

アフガニスタンに来るまで殆ど接したことが無かったものの、アフガニスタンで過ごすうちに、日を追う毎にその光景に慣れていったもの。
その一つに、カラシニコフを下げた警察官やセキュリティガードの姿があります。

カラシニコフとは、ミハイル・カラシニコフにより開発され1947年に正式に旧ソ連軍に採用された自動小銃(AK-47)に端を発する銃の総称で、安価で丈夫なために世界中に広まっています。

赴任当初は、ぶらりぶらりと肩から銃を下げた人たちが街角や建物の門口に普通に立っている様子、しかもしばしば目にするその姿に衝撃を受け、「あー、紛争地に来たんだ」と緊張感を新たにしたものでした。

最近ではそんな光景にも慣れつつありますが(それはそれで一難ありますが)、やはり、カブール市内のチェックポイントなどで車を止められると、「この人が突然発狂していきなり発砲したらどうしよう・・?!」と思ったりすることもあります。

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カラシニコフを持った軍人。
アフガニスタンの人たちは総じて写真好きなので、お願いしたら結構あっさりと、しかもポーズをキメて撮らせてくれました(笑)。凛々しいです。

ブラニ(覚えてますか?)の写真をアップしました!
ご興味のある方はチェックしてみてください☆

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2007年5月25日 (金)

緑色の旗

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

アフガニスタンの墓地では、しばしば緑色の旗が風にはためいている姿を目にします。
墓地は丘陵地にあるため目にする機会が多いのですが、どこの墓地でも、緑色の旗が立っていない墓地はありません。

ナショナルスタッフに聞いてみたところ、緑色の旗は、戦争の影響で無くなった人を示すためのものであるとのこと。直接戦った人、巻き込まれてしまった人、どのような状況であっても、戦争が原因で無くなった人のお墓には、緑色の旗が飾られるとのことです。

そう聞いて改めて見直してみると、その数の多さには目を見張るばかりです。

アフガニスタンの墓地に、もう新たに緑色の旗が飾られるようなことがないよう、祈っています。

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緑色の旗がはためく墓地

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2007年5月17日 (木)

お礼:1,000人!

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

ブログを始めてからまだ1ヶ月経ちませんが、いつのまにか、既に延べ1,000人以上の方にご覧頂きました!ありがとうございます!!
私自身も、原稿作成後にきちんとアップされているかをチェックしているのですが、自分のチェックした回数を除いても、実に1日当り40人以上の方にご覧頂いたことになります♪

アフガニスタンの食べ物シリーズは続くのですが(まだ続くの?!というご意見もありますか?(笑))、延べ1,000人の方々にご覧頂いたとても嬉しいこの機会に、再度、初心を振り返ってみたいと思います。

ブログ第1回目のご挨拶や、外交フォーラムの原稿にも書かせて頂きましたが、このブログを開始した理由は、
「日本では治安以外の報道がなされることが殆ど無い『アフガニスタンの今』について、より多くの方々にお伝えすることにより、アフガニスタンやJENの活動をより身近に感じて頂くこと」にあります。

何故、身近に感じて頂きたいと思うのか。

それは、アフガニスタンで四半世紀もの間紛争が続いてきた理由の一つに、アフガニスタンが忘れ去られた国であったことが挙げられるからです。世界のどこかで紛争が生じる背景には、国際社会による「意識的な」又は「無意識の」無関心があります。同じ歴史を繰り返さないためにも、アフガニスタンのことを一人でも多くの方に知って頂き、関心を持って見守り支援し続けて頂くことが重要だと考えています。

そのためにも、アフガニスタンに親近感を持って頂けるような、またアフガニスタンについて考えて頂けるような情報を、今後とも発信し続けていきたいと思います。

以上、「初心」表明演説(?)でした。

今後とも、ご覧頂けると幸いです☆

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朝日にバラ色に染まるヒンズークシ山脈。美しいです。

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2007年5月15日 (火)

ぼくの村は戦場だった。

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

アフガニスタンの食べ物シリーズはまだまだ続きますが、とても印象に残る本を読んだのでご紹介させて頂きます。

先日、著作をご紹介した佐藤和孝さんと共に、JENの識字教室の取材にいらしたジャパンプレス山本美香さんの本。山本さんも、10年以上にわたり紛争地の取材を続けてこられたジャーナリストです。

この本では、アフガニスタン、ウガンダ、チェチェン、コソボ、イラクの5カ国について、取材の内容がまとめられています。

それぞれの国で発生した紛争の要因や背景を、幅広く的確な視点で伝えると共に、紛争下で生きる人びとの身に生じた様々な事件-余りにリアルで時に目を背けたくなるような事実であるものの、現実に生じたこと-について、淡々と記載されています。

問題解決の第一歩は、的確な問題把握から。
この本は、紛争後復興支援や平和構築支援の仕事を目指す方が、紛争とは何か、そこで実際に何が起こっているのか、何をすれば良いのか、を考える第一歩に資すると思います。

ちなみに、山本美香さん、とてもステキな方でした♪

取材の合間に本書をご紹介頂いたので、早速amazonで調べたら売り切れていたのですが、その旨お伝えしたところ、アフガニスタン出国前夜にわざわざJENの事務所までお届けくださったのです。山本さん、ありがとうございました!ちなみに、今はamazonにも出ています。

また、識字教室の取材の際、初めて会う女性たちから、短時間で様々な本音を聞きだされていて、とても驚きました。でもこの本を読んで納得。アフガニスタンの取材を10年も前から続けてこられていて、戦時下の女性の状況を継続的に取材されていたので、初めて会った人たちからもすぐに信頼を得られたのだな、と納得しました。

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2007年5月 9日 (水)

戻りました!!

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

R&R期間中は頻繁に更新できず、折角訪問下さった方には無駄足を踏ませることになってしまい、すみませんでした。

おかげさまで、R&Rで十分にエネルギーチャージしてきましたので、仕事もブログの更新も頑張っていきたいと思います♪

ところで、今回は、アフガニスタン→パキスタン→タイと、ある意味経済発展の諸段階の事例を実感するような旅でした。

タイは、10年以上前から頻繁に訪れているのですが、バンコクについて言えば、日本と変わらないレベルと言っても過言ではないような経済発展ぶりです。そして、人びとの顔付きも自信に満ち溢れいていて、まさに波に乗っているという印象を受けました。

パキスタンもイスラマバードについては、緑が溢れ、道路も整備されていて、巨大なショッピングセンターも複数あって、日本人が暮らしてもさほど困らないのではないか、と思われました。

さて、アフガニスタン。なつかしの土漠の地では、道路整備が十分ではないこともあり、ものすごい砂埃が出迎えてくれました。陽気はほぼ夏。暑いです。目に見えるのは、都市計画の殆ど無い街並み、日干しレンガの塀で囲まれた日干しレンガ造りの家、でこぼこの道、コンテナショップ・・・etc。高層の建物は殆どありません。

当たり前のことですが、「戦争が無いということは着実な発展に繋がるのだ」、ということを再認識しました。お隣の国が着実な発展を遂げる中で、度重なる紛争に成長の機会を奪われてきた国。

見渡す限り課題は山積みですが、スタッフと力をあわせ、良い仕事を着実に積み上げていきたいと思います。まずは、そのためのオフィス内の体制整備に注力していきたいと思います。

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カブールの朝市とロバ車

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2007年5月 8日 (火)

外交フォーラム!

皆さんこんにちは。JENカブール事務所長の柴田哲子です。

お知らせがあります!

本日(5/8)発売の「外交フォーラム 6月号」に原稿を書かせて頂きました。

「紛争後復興支援の現実と実感 自立を支える触媒としてのNGO」という内容です。

アフガニスタンの復興支援の現状、その中でNGOが果たすべき役割、スタッフ育成を中心とした現在の仕事の内容や今後の方向性等、当地に来てから感じ続けてきたことや考えたことをまとめました。

宜しければ是非、ご覧下さい!

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2007年4月28日 (土)

戦場でメシを食う

先日、JENがカブールで行っている識字教室の取材にいらしたジャパンプレス佐藤さんの著書。

25年もの間、数十カ国にわたる紛争地の取材を続けて来られた佐藤さんが、最前線の現場の様子を「食事」という切り口で垣間見せてくれます。

紛争地の食事の様子もとても興味深かったのですが、それ以上に興味深かったのが、佐藤さんが取材地で出会った市井の人々の生活、日常。
その人たちがどのように紛争に巻き込まれていき、どのようにしてその時を生きているかということ。

加えて、極限状態で表出する人間の様々な側面--想像を絶する残忍さ、なにごとも笑い飛ばしてしまう強さ、全てを失った人が他人に見せる優しさ、、、等々。

この本では6カ国の様子が紹介されているのですが、紛争そのものやその中で生じる事象には、国は違えど多くの場合類似性があるように感じました。

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